議員目線

議員になると、住民の立場ではなくなるのだろうか。

情報公開、情報共有にかんして違和感を感じてしまう。なぜか、執行部に対して情報公開を要求するが、自らの得た情報は公開しない。確かに、印刷して全住民に配布するのは、コストも掛かり、非現実的だろうが、電子データ化してWebで公開すれば、費用もかからず、いつでもどこからでも見ることはできる。

なぜ、共産党の議員は政務調査費の使徒内容について自分のサイトに公開しないのだろうか。正当性を主張するだけでは、合意も納得も得られない。

なぜしないのか。やり方が分からないからか、議会内の申し合わせに縛られているからか。。。ん。

議員報酬の明細書や政務調査費の使徒明細など、住民が知りたい情報について、知らせようとしない。また、議会内の結論は報告するが、どう議論されたのかは知らせない。そもそも議論に値するような現実があるのか、と疑ってしまう。住民の立場から見れば、結論だけでなく、議論の内容や、どの議員がどう考えているのかを知りたい。だが、「開かれた議会とは」と議論をしているとは言うものの、何も情報公開されもしなければ、『議員目線』と言わざるを得ない、のではないだろうか。

政治的理念や確信に立った自己認識からの問題提起、問題把握がなければ、説得的議論は望めない、と思う。

議員って、何。ましてや共産党の議員ってなにだろう。その存在理由とは、何なのだろうか。

議員としての資質は、多様だと思う。しかい、他党派は別として、共産党の議員のサイトを拝見して、違和感を感じてしまう。なぜ、Webを利用した活動がないのだろうか、と。もちろん、紙ベースの民報やチラシは作成配布されているのだろう、と思う。しかし、その元原稿となる電子データについては、サイトへの掲載がない。

なぜ、広報、コミュニケーションツールとして、双方向の伝達手段としての活用が考えられないのだろうか。なぜ、自らの思考や、理念を合意、納得を構造化するためのツールとして、また行政情報の存在を知らせ合うツールとして活用しないのだろうか。

ネットは、まだ一般的ではない、という。しかし、パソコンの普及にしても、スマートホンの活用にしても、一般社会は進歩しつつある。こうした時代のツールに対して、否定的、消極的であって良いのだろうか。なぜ、利用する方向での学習や講習を企画しないのだろうか。個人の努力や自己責任などと考えるべきではないと思う。科学的社会主義を標榜する組織として文明の利器をいかに活用するべきかを、戦略的次元で構想すべきではないだろうか、と考えてしまう。議員への支援体制についても組織的な関与が必要だろう。いつまでも無料ブログで事足りると考えるべきではない、と思ってしまうのだ。

多様な能力や多面的な構想化能力を評価、活用できない組織は、衰退していくのではないだろうか。組織の活性化には、『ばかもの、よそもの、わかもの』の視点が必要でしょう、と思う。、

私は現職議員ではないし、党機関の役員でもない。だから、批判は単なる個人の戯言でしか無い、と考えている。それとも『ばかもの』にしか過ぎないのだろうか。

    • sada
    • 2011年 10月 1日

    お怒りに似た問題提起。ご指摘のことはもっともなことです。どうか、自信をもって、お近くの共産党の方々と議論なさってくださいね。期待しています。

    • aq1947
    • 2011年 10月 1日

    議論にならない現実に、疎外感を感じています。

    • hoshi
    • 2011年 12月 3日

    少し前の記事のようですが、コメントさせていただきます。
    岡山県議会議員団では公開しているようです。
    http://www.jcp-okayama-kengidan.jp/
    住民との懇談会での「茶菓子代」も支出しているようですが、これは住民(岡山県民)が判断することかも知れません。

    ネット、webの活用は、今後不可避だと思いますが、三豊に住んで感じたのはやはり地縁・血縁などですね。都市部は別にして、議員活動の必須アイテムにはまだなってはいない感じです。
    といって、党機関が消極的でいいわけはありませんが、然るべき会議や然るべきルートで繰り返し指摘するしかないかも知れません。経験交流会などが開催できたらいいのに…。
    常に成長=変化を恐れない、発展する意識を個人としても組織としても持ちたいものです。年齢を重ねるごとに難しい=経験に頼る面が出てくるので、振り返りや相互指摘などが必要です。

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