カテゴリー : ☆YANOレポート☆

YANOレポート掲載場所変更

矢野英典氏(千葉県浦安市在住)によるスポーツ評論記事、YANOレポートは【こちら】「電網世界と現実の狭間へ移設しました。
最新記事は「YANOレポート(7)」になっています。よろしくお願いします。
しばらくは旧掲載記事をこちらにも残しておきます。(10月一杯!) m(__)m

YANOレポート掲載変更

矢野英典(千葉県浦安市在住)さんによる、スポーツ評論記事を「たかせの政治」からこちらに移しました。
最新は「YANOレポート(7)」です。よろしくお願いします。
カテゴリーで【★YANOレポート】をクリックしていただければ、古い順に表示されます。

YANOレポート(7)

BY:矢野 英典(千葉県浦安市在住)
スポーツが好き
教育基本法が育てたスポーツファンのフェアプレー
2ヶ月前にさかのぼるが、横浜でボクシングのWBAライトフライ級王座決定戦が行われた(8月2日)。亀田興毅はランダエタ(ベネズエラ)に判定勝ちしてチャンピオンとなった。この判定に3万5000件を越えるクレームの電話が放映したTBSに殺到した。亀田興毅は負けているというものだった(朝日新聞)。
9月25日に訪日した興行元のWBAのメンドーサ会長はこの試合について「どちらが勝ってもおかしくなかった。ただ、私は判定を信じたい」としつつ、日本からベネズエラのランダエタ選手の元に約3000通の激励メールが届いたことに「日本のファンの国際性が見えた。そんなファンが世界中に増えればボクシングは繁栄するし、地元が有利とする判定はなくなる」と語った。 (スポーツニッポン・9月26日)
今年の夏(7月)、テレビでも繰り返し放映されたので見た人も多いだろうが、女子サッカーのアジア杯で北朝鮮チームの選手が、試合を終えて引きあげる審判に後から飛び蹴りを食らわして出場停止となった。理由は試合中の判定に不満があったということだ。国家と国民の期待を背景に、そのプレッシャーの下でたたかってきた選手のせっぱ詰まった思いがテポドンのような飛び蹴りという勇み足になったのであろう。
そのプレッシャーが逆に内に向いたのが、東京オリンピックのマラソンで銅メダルをとった円谷選手ではなかったか。両親に「お父様、お母様。私は疲れ切ってもう走れません」と遺書を残して自ら命を絶ったのは40年近く前のことだ(1968年)。
バレーの「ニッポンチャチャチャ」や、スタンドを「青一色で染める」サッカーのサポーターも、興行主のビジネスにかなり取り込まれている感じはするが、スポーツにおける「フェア」な精神やスポーツをスポーツとして楽しむ精神は今回のボクシングファンと共通とみて間違いはない。
力道山がシャープ兄弟やル・テーズに空手チョップをお見舞いするたびに、戦争で負けたうっぷんをはらした戦前派・戦中派とは全く異なる精神をもったスポーツファンが今日の姿なのだ。
日本のスポーツファンは単に自国の勝利だけを期待するレベルから、スポーツに高い「フェア」な精神を求める段階に到達している。憲法前文にある「国際的な平和精神と、国際社会において名誉ある地位を占めたいと思う」を実践して成果をあげているといえる。そこには大東亜共栄圏や靖国神社にみられる欺瞞にみちた国際的精神や狭い愛国心ではない。
安倍首相は首相就任の第一声で、「教育基本法改定」をあげた。同調する識者も改定理由として、若い世代のいただけないマナーなどをあげる。しかし、マイナス部分だけをつまみあげ、改定を連呼するのはいかがなものか。
労働組合であれ、企業であれ、政治であれ、新しい方針は過去のプラス・マイナスの正しい評価が不可欠だ。発展には必ずマイナス部分がくっついてくる。プラスを残し、マイナス部分を捨てることが改革であり、発展である。
「過去に目を閉ざし、今日も見えない」安倍首相がつくった虚偽広告
「美しい国」

「歴史は後世の歴史家が考えるもの」としつつ、教育基本法の改定をいう新首相は、目の前に現れたスポーツ史における画期的な出来事も目に入っていないのではなか。過去に目を閉ざし、今日も見えない人間が「美しい国」というコピーだけで将来像をつくりあげるのは、虚偽広告というべきものではないか。
これは教育基本法の前文の一節である。
「われらは、さきに、日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は、根本において教育の力をまつべきものである。」
この法律の成果を具体的にみせてくれたのが8月の亀田興毅・ランダエタ戦の判定に対するクレームや激励のメールを送ったボクシングファンであったのだ。(06/9/27) 
※この文は日本ジャーナリスト会議広告支部ニュース10月号(9月29日発行)に掲載予定のもの

YANOレポート(6)

BY:矢野 英典(千葉県浦安市在住)
 「サッカーワールドカップ」と「オリンピック」  
どっちが権威ある大会?

いよいよFIFAワールドカップドイツ大会が始まる。外国からの日本チームの評価は「スピードとサプライズ」。つまり、実力がイマイチとはいえ、大物を喰う可能性をもつデインジャラスなチームということらしい。日本流に言えば「なめてかかると火傷(やけど)するぜ」ということか。
先日の対ドイツ、対マルタの練習試合では、その両方をみせてくれた。前半のドイツの猛攻を耐えて、後半にはそのスピードをいかして一気にチャンスをつくり、立て続けに得点したドイツ戦。歯切れの悪いたたかい振りで以前のチームに戻ったようなマルタ戦。
日本は2002年の日韓大会ではベスト16位になったが、これは主催国としてのシード権を与えられたことが大きい。本来シードされるべき強豪チームに代わって日本チームにシード権を与えられた。その結果、比較的楽なチーム枠となり、予選を突破することができた。これは主催国の特典であるが、今回もドイツチームにその恩恵が与えられている。主催国が勝ち残ることで、大会の盛り上がりを期待するという商売気たっぷりな主催者(FIFA)らしい措置なのである。
国際サッカー連盟(FIFA)と国際オリンピック委員会(IOC)のイニシアティブ争い(★1)
IOCは世界平和や自然環境の保全(★2)に関して積極的な姿勢をみせてきた。FIFAも今回のドイツ大会で人種差別や宗教的な偏見、極右に反対する「サッカーは団結」キャンペーンをおこなう。(★3)
これらもスポーツイベントの社会への貢献との関わりで議論されなければならないが、ここでは長くなる難しい話はさておき、「興行」「ファン」というビジネスの視点で比較してみよう。
結論から言うと、世界の巨大な2つのスポーツ興行団体によるイニシアティブ争いは、専門店とデパートの販売競争に例えればわかりやすい。以前は、三越・高島屋・大丸というデパートに商品を並べることで、その商品のイメージアップやメーカーの格づけにつながった。しかし、今では服飾や化粧品、バッグ・靴などのメーカーは東京の銀座や青山通りに単独出店して成功しており、デパートの「格」は不要である。
と言いつつも、デパートが全国の繁華街に店舗をもつという立地条件と、長年の信頼性でそれなりに膨大な顧客を集める。有力ブランドもこの販売力を無視できず、デパートに売り場を出すメリットは大きい。逆に、デパートへのブランドの出店はデパート自身の格付けや売り上げに大きな貢献をしている。いわば専門店とデパートは競合と協同の関係にあるといえる。同じ関係がサッカーワールドカップとオリンピックに横たわる。
アマチュア主義のオリンピックに対抗して、サッカーワールドカップはアマ・プロオープンの「実力ナンバー1」決定戦として挑戦
オリンピックは1896年にアテネで始まった。ご存じのように提唱者のクーベルタン男爵の「出場者をアマチュア」であることを前提として、サッカーも1900年の第2回大会から参加する。
ただ、サッカーはボールひとつのゲームなので、お金や場所のかからないスポーツとして貧しい労働者にも愛され、世界に普及した。これらの労働者チームは練習や試合には仕事を休んで参加するため、一定の休業補償を与えられていた。IOCはこのようなお金を受け取ったプレーヤーもプロだとして、オリンピックへの出場を拒否した。
この労働者によるプロのチームが、ブルジョアジーや貴族の子弟が趣味でサッカーを楽しむアマチュア・サッカーチームより強くなっていった。
ここに至り、世界最強のサッカー国を決定するサッカーワールドカップがFIFA主催で、アマ・プロオープンとして実施されたのが1930年(南米・ウルグアイ)であった。
スポーツの魅力は「実力ナンバー1」を対等・公平な試合で決めることにあり、サッカーファンもそれを期待したからである。
これ以降、FIFAワールドカップのサッカーは実力・人気ともに、アマチュアで編成されたオリンピック・サッカーを凌駕するに至る。IOCがアマ規定を解除した1974年にはすでに「FIFAサッカーワールドカップ」の地位はゆるがないものになっていた。
FIFAの本音 「広告塔?」としてのオリンピック
IOCもプロ選手のオリンピックへの参加を公認することで、オリンピックのサッカーが実力ナンバー1の権威をもつことを望んだことは容易に想像できる。一方のFIFAにとっては、実力ナンバー1を決めるワールドカップが既に存在しているのに、プロ選手を今さらオリンピックに参入させるメリットはない。  
しかし、IOCにはオリンピックの「参加することに意義がある」というスローガンの下で、スポーツの発展途上国を新しいスポーツ市場として開拓してきた。そのサッカー市場の拡大のメリットをFIFAはよく知っており、享受していた。オリンピックがもつこの広告塔としての役割をFIFAは重視して、「一定の」協力姿勢をみせたというのが本音だろう。いずれ別の機会に書きたいが、FIFAは相当にしたたかな商売をする興行団体なのである。
もちろん、オリンピックがサッカーワールドカップを侵食する事態は避けるため、出場選手を主として23歳以下に制限し、24歳以上のスタープレーヤーの出場は3人以内とした。2流のチームとして出場を許可したわけだ。
この屈辱をIOCが了承せざるをえなかったのは、サッカーをオリンピック種目から外しては、「世界のスポーツの祭典」というコンセプトが成り立たないし、オリンピックのサッカーはアマチュアのチームではあっても、それまで相当数の観客をスタジアムやテレビ桟敷に集めていたというこれまたIOCの商売上の視点から、妥協したのであろう。これらがビッグな2つのスポーツ興業団体の競合と協同の内容である。
(付)IOCが逆の決定をしたのが野球である。
野球は2008年の北京オリンピックを最後にオリンピック種目から外される。
アメリカ・日本での野球市場は大きく、強力チームを結成してオリンピックにゆくことで損なわれる金銭的マイナスが大きい。そのため、最強チームというより各球団が妥協できるチーム編成でオリンピックに参加したが(キューバなどプロ球団をもたない国は、最強チームを編成して参加)、これは国際オリンピック委員会(IOC)が軽視されたとして不快感をもったことは疑いない。
更に、野球の盛んな国はアメリカと中米、日本・韓国・台湾といった極東に限られている。ここにFIFAが野球をサッカーと異なった対応をした理由があると思われる。
★1 FIFA(仏 Federation International de Football Association)
   IOC(英 International Olympic Committee)
それぞれ、世界サッカー協会、世界オリンピック委員会とも呼ばれている。
★2 韓国と北朝鮮との合同チームでのオリンピック参加、冬季オリンピックのスキー滑降における山林資源保護への姿勢表明など
★3 今回のドイツ大会でのスタジアムや開催都市でのこの運動のPR、ワールドカップを放映する世界のテレビ局に「反人種差別」の5秒スポットを無料提供される。NHKや民放でのテレビで見ることができるかもしれない。
この文は日本ジャーナリスト会議広告支部の機関誌(広告支部ニュース6月号)5月29日発行)を一部修正したものです。(06/6/6)
2

日本ジャーナリスト会議

JCJ 自由なジャーナリズムなくして自由な社会はない。
■自由な社会を守るために、憲法を守る。